8-1『フリーダム・プライベート』


 草風の村。
 草風の村、凪美の町を結ぶルート間にある谷へ展開していた部隊は、紅の国商議会が村に差し向けた傭兵隊の撃退に成功したことを得て、谷から撤収、草風の村へと戻って来た。
 しかし隊の現在の目的である邦人確保は、今だその任の途中段階であり、帰還した部隊は待機していた部隊との合流、人員装備の再編等に、そして何より戦闘で発生した負傷者や殉職者への対応に追われていた。その影響で、時刻は日を跨ごうとしているにも関わらず、草風の村は喧騒に包まれていた。
 だがそんな中、指揮所用に設置された業務天幕の内部は、静寂に包まれ重苦しい雰囲気が充満していた。
 内部では、長机を挟んで天幕の奥側には、井神がパイプ椅子に座り、その両脇には小千谷二尉、河義三曹、帆櫛三曹の立つ姿がある。
 そして机を挟んだ天幕の出入口側には、自由が先頭にだるそうに立ち構え、その後ろに剱、策頼、竹泉、多気投が整列も碌にせずに、好き勝手な位置に立っていた。
「鋨壽、またとんでもなく暴れたようだな」
「相手がパネェ奴だったもので」
 井神の少しあきれの含まれた言葉に、礼節を欠いた端的な言葉で返す自由。井神は今、自由等から脅威存在との戦闘における一連の出来事の説明を受けた所であった。
「これは……凄まじいな」
 横では小千谷二尉が机に置かれたタブレット端末を眺めながら、苦い表情を作っている。
 そこに移っていたのは、谷での戦闘で自由等が仕留めた、脅威存在のクラレティエやロイミ始め、傭兵達の死体の記録画像だった。
「子供も多数いるじゃないか……気分のいい物ではないな」
「もっとゲロゲロに胸糞悪ぃシロモノを、俺等はこの二時間足らずで山盛り見て来たんですがねぇ?」
 少し顔を青くして言った小千谷に対して、皮肉気な言葉を発したの竹泉だ。
「んでもって、ガキだ大人だ以前の問題だったんですがねぇ。糞気色悪い思想に染まりきって、その癖てめぇらはまるで冒険を楽しむ主人公気取り。ああも気色悪い輩にマジでお目にかかれるとは、運がいいやら悪いやら!」
 続けざまに竹泉は捲し立て、最後に吐き捨てる。
「そして策頼のダチや21壕の面子を甚振り殺しやがった」
 そして自由は、斜め後ろで鋭い目つきで立っている策頼の心内を、代弁してやるように言い放った。
「皆、誤解するな。危機的状況にあった事は重々理解している。脅威存在の手によって、隊員が暴行行為を受け、そして犠牲者が出たことには、俺達も酷く憤慨している。何も今、諸君らの取った行動を咎めたり、倫理や人道についての議論をするわけじゃない。ただ脅威存在と直接戦闘した者から、状況を詳しく聞きたかっただけだ」
 井神は発しながら、両手を前に緩やかに差し出すジェスチャーで、皆に落ち着くように促す。
「今は、ねぇ?」
 そんな井神の説明に、しかし竹泉は懐疑的な様子で呟く。
「お前等いい加減にしないかッ!」
 甲高い怒号が天幕内に響き渡ったのはその時だった。
「あぁん?」
 竹泉の鬱陶しげな声と共に、皆の視線が声の主の方へと向く。
「さっきから聞いていればなんだその態度は!二尉と一曹の前だぞ、姿勢を正さんか!」
 怒声の主は女三曹の帆櫛だった。
「井神一曹!少し失礼します!」
 話の区切りがついた所を見計らっていたのか、帆櫛が机の脇を抜けて前へと出てくる。
「だいたいお前ら、その恰好はなんだ!?」
 そして帆櫛は自由等の身なりに対して指摘を始めた。
「鋨壽士長、どうして上衣がOD作業服でズボンは1型なんだ!?それに羽織ってるのは私物のジャンパーだろう!?」
まず帆櫛は自由の服装に目を付け、自由を睨みつけた。
「それぞれ組み合わせの片方がダメんなりましてね、指定の上着もです。文句なら、申請したのにいつまで経っても替えを寄越さねぇ、関係各所に言ってもらいたい」
 対する自由はそんな帆櫛に対して、普段の調子で淡々と言ってのけた。
「だからって、組み合わせて着るのはどうかと思うぞ……?」
 横に居た剱が困惑の声で言う。
「鳳藤士長!服制違反はお前もだぞ!」
「ッ!?は、はい!」
 しかし帆櫛の叱責の対象は、そこで剱にスライドし、剱は飛び上がった。
「前から言おうと思っていたが、その髪はなんだ!長すぎる上、まとめもしていないとはどういう事だ!」
「う……」
 剱は幼少より長い髪で動くことに慣れていたため、これまで戦闘の上でも支障をきたす事はなかったが、彼女の髪の長さはナンバー中隊所属の隊員としては褒められる物ではなかった。
 生真面目な性格の剱であったが、そんな彼女も54普連の規律の緩さに少なからず影響されている部分があった。
「それに、中に来ているインナーも私物だな!?」
「うぅ……えぇと、これは……」
「そいつぁ、中隊の幹部に許可取ってある。髪はまぁ、まとめさせりゃいいだろう」
 動揺する剱に代わって自由が助け舟を出す。
「中隊のローカルルールだな……本来なら故障療養等の特例ない限り規定違反だからな!」
 剱に釘を刺す帆櫛。
「そして――」
 次に策頼に視線を向ける。
「う……」
 しかし策頼に違反点は特になく、なにより未だ殺気の籠る眼光に見つめ返され、帆櫛はたじろぐ。
「……策頼一士は……まぁいい」
 そして帆櫛は策頼から逃げるように目を反らした。
「――そしてお前等ッ!」
「あ?」
「ワッツ?」
 帆櫛は標的を竹泉と多気投へと変え、二人の前へと詰め寄る。彼女のその視線は二人の足元へと向いていた。
 竹泉と多気投が履いているのは登山等に使用される市販のトレッキングシューズだ。それぞれデザインが違い、戦闘服と比較して非常にカラフルで目立っている。
「なんでこんな物を履いているッ!」
 言葉と同時に、帆櫛は竹泉の履くシューズを踏みつけようとした。
 しかし、
「っとぉ!」
「ッ――ひゃッ!?」
 竹泉は自分の脚をさっと引き、標的を失った帆櫛の脚は接地をしくじり、バランスを崩した帆櫛は思わず悲鳴を上げた。彼女はヨタヨタとふらついた後、どうにか体勢を立て直す。
「あっぶねぇな――安いモンじゃねぇんだぞ」
「コイツのほうが調子よくファイトできるんだずぇ」
 そんな言葉を発する竹泉や多気投を、帆櫛はよろけた先で振り向き、赤面した顔で睨む。
「帆櫛、あまり熱くなるな」
 そこで様子を見ていた井神が、帆櫛を宥める声を掛けた。
「しかしッ!」
「服制規則ももちろん大事だが、今は優先しなければならない事が他にある」
 井神の言う通り、今この場に集まってるのは戦闘の事後報告のためだ。自由等の前には他隊も同様に報告に集まっており、何も自由等だけがお叱り目的で集められているでは無かった。
「――皆、今は状況が状況だからあまり咎めない。しかし、落ち着いたら現状可能な限りで良い、規則にのっとりちゃんと服装や装備を正すように」
「できる限りは」
「は……」
「善処しますぅッ」
「イエッサァーッ」
 策頼を除く自由等はそれぞれ機敏さに欠ける口調で、返答を返した。
「さて、話を次に移そう」
 帆櫛は未だに不服そうな顔で自由等を睨んでいたが、井神は彼女が再び怒り出す前に話を移した。
「諸君らが遭遇した、いくつかの不可解な現象についてだ。まず魔法現象について。今回の戦闘で、その影響を受けた者と受けなかった者がそれぞれいたと聞いた」
「えぇ、どうにも魔法とやらに耐性の有るヤツと無いヤツが、俺等の中でもあるようです。誰がどっちに該当するのか、調べるべきかと」
 井神の言葉を肯定するように、自由が発し、そして具申する。
「衛生隊員……は手いっぱいか。手空きになった者と、協会の方に協力してもらい、順次調べよう。編成にも影響がでそうだ」
 言った井神は、次に視線を策頼へと向ける。
「それと策頼。君は、先程の脅威存在との戦闘の中で、奇妙な現象を体験したそうだな?」
「あまり正確には覚えていないんですが。突如現れた作業服と白衣の人物に導かれ、よく分からない空間を通って、敵中に殴り込みをかけました」
 井神の問いかけに、策頼は自身の体験を最低限の言葉で端的に答えた。
「おめぇ、自分が正気を疑われる発言をしてるって気付いてるかぁ?」
 それに竹泉が横から、皮肉気な言葉で投げかけたが、策頼はそれには答えなかった。
「だが、実際に策頼の姿が消えた瞬間を四耶三曹達が目撃している。そして敵中に姿を現し、戦闘行動を行った策頼を峨奈三曹が見ている……」
河義が自身の分隊員である策頼の言葉を、肯定、補足するように発する。
「それと、戦闘中、敵の動きが酷く緩慢でした。まるで自分以外がスローモーションになったようで、容易に敵の隙を突けたことを覚えています」
 そこに策頼はさらに言葉を付け加える。
「アドレナリンによる効果――だけではとても説明がつかないか」
「状況がこちら側に寄与した事を考えると、傭兵側の魔法現象という事もなさそうです」
 小千谷や河義は考察の言葉をそれぞれ発する。
「では、その作業服と白衣の人物という、まったくの第三者からの介入か」
 そこで井神がそんな言葉を呟いた。
「第三者からの介入……ですか?」
 井神の言葉に、帆櫛が訝し気な表情で彼を見つめる。
「いや、あくまで憶測だ――。策頼に起きた現象に関しては、俺達を取り巻く事態に大きく関係ありそうだが、今の時点では皆目分からないな。落ち着いたら詳しく調べたいところだが、しばらく時間はあるまい。今はそれ以上に、先にやる事が盛りだくさんだからな」
 そこまで言うと、井神はフゥと息を吐く。
「よし、摩訶不思議現象への考察は、一度ここまでにしよう」
 そしてそこで話を切った。
「邦人捜索の方も微妙な進行具合だと聞く。場合によっては君等にも、呼応展開に参加してもらう事になりそうだ。身体と装備を整え、食事と睡眠を取るように。解散してくれ」
「やれやれだぜ、まったく!」
「俺っち、腹減ったぜぃ」
 解散の言葉を聞くや否や、竹泉と多気投は敬礼もろくにせずに天幕を出て行った。
 策頼は殺気の残る顔のまま、端正な動きで10度の敬礼をして、身を翻す。剱は慌ててそれに習い、10度の敬礼をしていそいそと天幕を出る。
「んじゃ、失礼します」
 最後に自由が礼儀に掛ける一言と共に、天幕を後にした。


「……なんなんですか、あいつらは!」
 全員が出て行った後に、それまで不服な顔を浮かべていた帆櫛が、再び声を張り上げた。
「碌に整列もしない!戦闘服は着崩す!許可されてない私物を勝手に着てる!服制規則がメチャクチャじゃないッ!」
「プライベートはプライベートでも、〝士〟じゃなく〝個人〟だな、あれは」
 小千谷がそんな感想を呟く。
「有事官としての自覚は無いわけ!?」
「あるヤツは降任や昇任見送りを食らったりはしないと思う」
 帆櫛の叫びに、河義が返す。
「何他人事のように言ってるのよ!?壽士長や鳳藤士長はアナタの分隊員でしょう!一体どういう指導をしてるわけ!?」
「俺に当たるなよ。俺だって手を焼いてるんだ」
 突っかかって来た帆櫛に、河義は煙たそうな顔で答える。
「――だが、彼等のおかげで脅威存在が排除できた」
 しかしそこで井神がそんな一言を挟んだ。
「一曹……!だからって規則違反を看過するんですかッ!」
「看過するわけではないが、驚異的な存在と渡り合い勝利したヤツ等だ。どこか逸脱してるものだ。簡単にはいかないさ」
「ッ……甘やかし過ぎです」
「そう怒るな、状況が落ち着いたらしっかりしてもらうさ」
 帆櫛を再び宥め落ち着かせると、井神は話題を次に移す。
「それで、向こうは芳しくないようだな」
 井神の言う向こうとは、他でもない凪美の町に潜入している鷹幅と不知窪の二人の事だ。
「邦人との接触には、向こうの警備隊の横やりが入り失敗。捜索方法を変更」
「邦人を敵警備隊に探させてそこを横取りするって……二曹達も何考えてるのよ……!」
「向こうは面倒な状況下で動いてるんだ。これに関しては、俺達が偉そうに言えた事じゃないだろう」
 帆櫛は鷹幅等が提案して来た作戦に苦言を呈すが、河義は鷹幅たちの現状を考え、フォローの言葉を入れる。
「ッ……だけど……!」
 言葉を詰まらせるも、やはりどこか不服そうな帆櫛。
「鷹幅二曹と不知窪三曹はそれぞれ、空挺レンジャーとアルピンレンジャーだ。俺達よりも遥かに厳しい状況での判断力に長けている。ここはとやかく言わず、彼らに一任しようじゃないか」
「……分かりました」
しかし井神に宥められ、帆櫛は渋々といった様子でその言葉を受け入れた。
「失礼します」
 そこへ業務用天幕に来訪者が訪れる。長沼二曹だった。
「あぁ、長沼さん」
「井神一曹、呼応展開部隊の再編制案を相談しにきました」
 長沼は長机の前まで歩み寄ると、手にしていた用紙の挟まれたバインダーを、井神へと差し出す。
「うん、いいじゃないか。これで行こう」
 用紙の内容に目を通した後に、井神はそう発した。
「谷への展開部隊が早くに戻って来てくれて助かった。おかげで町への展開部隊が増強できた」
 そう言った井神に、しかし長沼は固い表情で返す。
「しかし井神一曹、お言葉ですが我々のキャパシティは限界です。今お見せした半個中隊規模の編成で、作戦行動ができるのは無理をしてもあと二日程度になります」
 部隊は邦人回収のためにかなりの無理をしていた。特に顕著だったのは後方だ。
 普通科を始めとする本来の戦闘職種である隊員だけでは正面戦闘要員が足りず、本来後方要員である隊員も、その半数近くを戦闘要員として抽出していたため、結果後方兵站の要員が減り、後方の負担が増加していた。
 最も、オーバーワークとなっているのは後方に限らず、隊全体に言えた事であったが。
「これ以降は、動き方を考えなければならないな。――だが、今は頭数を用意しておく必要がある。今、邦人は町の警備隊に追われている。邦人と、そして鷹幅二曹等の状況によっては、我々は町へ進入し、邦人と鷹幅二曹等の回収のために、警備隊とぶつからなければならない」
「そこは理解していますが……今回以降、事が落ち着く見通しはあるのですか?」
「それは月詠湖の国の出方次第だな。一応、彼らが動くに足りそうな証拠は入手できたが」
 井神一曹の言う通り、月詠湖の国が動くに足る証拠を、隊は商会員を捕縛することで手に入れていた。
 しかしそれでも月詠湖の介入、応援が必ず得られる確証は無かった。そして隊が行動限界に達するようなような事があった場合、隊はこの地域での作戦行動を中断。村人達を連れてこの国から撤退する事も視野に入れていた。
「そうなった場合、この村の人達は受け入れるでしょうか?」
 その旨を発した井神に、長沼は疑問の声を返す。
「さぁな。見捨てるような真似はしたくないが、かといって無理に村を捨てさせることもできまい」
 いささかドライな様子で言ってのける井神。
「………」
 その言葉を長沼はただ固い顔で聞き、返事は返さなかった。
「何にせよ、我々は動かねばならない。長沼さん、現場の指揮はまたあなたに任せる事なりそうだ。どうか頼みますよ」
「……了解です」
 長沼は答えると、業務用天幕を後にした。



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